DVの認定があるわけではない-DVと認定を受けるために
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DVには認定という制度や手続きがあるわけではなく、あなたにとってDVであると感じればそれがDVです。
身体への暴力によって傷を負うことを除いて、DVというのは被害者の主観的な感じ方でしかないため、第三者が客観的にみても心身を害する行為を受けていると判断できる状態が、DVとして認められたことになります。
言い方は悪いですが、第三者にDVが行われていると判断させるように訴えることができれば、DVとして認めてもらえるということです。
どうしてこのような言い方になるかというと、精神的なDVというものが非常に曖昧で基準の設けようがないからです。
身体的なDVと違って精神的なDVというのは、言葉によるものなら録音をしていたり他の誰かが聞いていない限り、事実の証明ができません。
本当にDVがあって夫が否定しても、事実関係の確かめようがないですし、本当はDVがなくても、あなたが主張すれば夫が否定したところでDVになって、同じく事実確認はできません。
どちらのパターンでも夫は否定するしかなく、あなたがそうだと言えばDVにもなり、違うと言えばDVでなくなります。
信じられないかもしれませんが、裁判所という法律を司る機関であっても、DVについては同じです。
DVを取り巻く環境整備にこういった側面があるのは、被害者救済を最優先にし、絶対的な性善説を前提にしているためです。
極論すれば、DVを訴える必要がある人しか、DVを訴えないという前提で全てが考えられています。
この点は問題が大きいとされていますが、本当の被害者をできるだけ救済するためには、性悪説で運用するとどうしても手遅れになるケースが増えてしまいます。
そのため、DVを受けたと主張する人に対し、それはDVではないという否定的な結果になることは通常ありません。
被害者が感じるDVは、人によっては信じられない苦痛だったり、平然としていられる程度だったりします。
そう考えると、あなたが夫に受けたDVを話した時、極悪非道な夫と思う人もいれば、そんなことでと思う人もいるでしょう。
しかし、人によって解釈が違うという点を論じる事は、それほど意味を持ちません。
なぜなら、DVというのは被害者がDVだと感じれば、それがまさにDVなのであって、個人差があるDVへの感じ方を一定の基準で量ることは不可能であるためです。